.
(ホームに戻る)

画家 宮地志行のアトリエ


建立は、正確ではありませんが、
昭和7年(1932年・志行41歳の頃)、
となっております。

やわらかい日差しのある、
静かな自然の中に建てられておりました
光や、明暗の表現を大切にする画家でしたので
この環境は彼にとって好ましい状態でした

志行の没後、36年経ったときの写真ですが
志行の妻の宮地光枝
(君枝ともいった・旧姓加知)は存命でした

君枝は字画数の縁起で使用していた名、
だそうです。
戸籍名は光枝(明治32年(1899)11月15日生、
昭和55年(1980)5月20日没、82歳)。

宮地光枝は、最後まで、
志行の使用した画具や絵の具類を、
それは大切に保管し、
外国語で書かれた絵の具などの文字を苦労して
訳して書きとめていたことを、
子孫である編集者が覚えています。

白い大きなガラス窓があり、
室内の天井は高くて、洒落た建物でしたが、
1978年、このアトリエは老朽化により
取り壊されました。

(1970年7月~8月撮影)
(カラー写真は撮影日不明)

アトリエの全景



  



志向が自ら書いたアトリエ設計図
設計図ではドアは正面右側になっているが
最終的に左側に変更された。床面積33㎡。

アトリエの中の作品室



 

 


作品の額縁は殆ど志行の手作りである。
いろいろなことに器用であった。

アトリエで。志行の妻、宮地光枝。



 



















 

 


志行の妻、宮地光枝の住んだ家




加知伴三
(宮地光枝の妹梅子の夫・光枝の生家)
の記録


「瑞浪のふるさと人物史
(瑞浪市退職校長会発行1995年)」より
引用させていただきました。



 

 

加知家から志行宛ての葉書
加知幸平は光枝の父、正義は光枝の弟。

.
(ホームに戻る)
.




<EOF>
.
.