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画家 宮地志行の記録

酒波神社(瑞浪市日吉町)



酒波神社に奉納

柘植図次像(油彩・画布)
宮地志行作


柘植図次は
明治39年(1906)11月~
昭和5年(1930)5月まで
酒波神社の宮司

柘植省試は
昭和5年6月~昭和39年2月まで
酒波神社の宮司

以後、柘植厚一が宮司を務めた
(敬称略)



酒波神社の高麗獅子

 




酒波神社の高麗獅子の台座には
宮地志行の意匠(デザイン)である
橘が描かれている。


橘の紋は酒波神社が中世から近世までの間、
七百年間「八幡宮」と呼ばれていた頃の神紋で
現存する最後の証拠は享保6年に建立された
鳥居に彫刻されている「丸に橘」の紋である。

享保12年に奉納された神輿の屋根には
「橘」と「丸に橘」の神紋が付けられている。

柘植図次(柘植省試の父)の社務日誌
(大正10年9月30日付)には以下の記載がある。

高麗獅子台成功セリ奉献橘乃紋章彫刻ノ意匠ハ
洋画家宮地景樹氏ノ考案ナリ

(景樹は本名、志行は画号)

以上、
資料提供は宮司・柘植厚一氏の御好意による
(2017年)の宮司は柘植厚一氏から
土屋廣忠氏に交代されていましたが
土屋氏は2019年、亡くなりました。


柘植家と宮地家との関係

柘植家より、柘植省試の弟が
加知家の分家(新家)へ婿入り

加知家より宮地家へ、
志行の妻として光枝が嫁入り

柘植家より宮地家へ、
兵次郎の妻として津宇が嫁入り
(兵次郎は志行の祖父)


酒波神社の銅鏡


東農新報 2022年6月3日の記事

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