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宮地志行 挿絵

物語・絵本などに載せる挿絵も
多く描いていました
1930年頃の作品です。
80年以上経過していますが幸い保存状態が良く
原画の色彩の鮮やかさは当時のままで見事です

9枚共、36cmx26cm
これらの絵は挿絵用として描かれたが
精細かつ高彩度であった為
印刷に無理があり実際の本では
画質を落として印刷された

有名な歴史場面の絵なのですが
解らないのがあります
何の場面か解る方がみえましたら、
このホームページの連絡先へ
情報いただければ嬉しいです




 
桃太郎
(作品番号=301)
37.0x26.0




 
歴史の場面は不明だが、
左の旗に菊水の紋が見えるので
楠木正成(まさしげ)であろう。
(作品番号=302) 37.0x26.0




 
『桜井の決別』
楠木正成と息子正行(まさつら)との決別
桜井の駅まで進軍して来た
楠木正成は意を決し
息子・正行を呼び
「兵庫へは討死覚悟で出陣するが
汝は故郷へ帰るように」と告げる

足利尊氏と戦い楠木正成は
敗れ自害する(1336年)
絵の奥には楠木正成の
「菊水の紋」が見える
(作品番号=303)37.0x26.0




 
歴史場面は不明 
(作品番号=304)
37.0x26.0




 

楠木正成と後醍醐天皇に関係する場面らしい
作品番号=302と鎧の色模様
が同じなので楠木正成
(作品番号=305)37.0x26.0




 

楠木正成(1294-1336)千早城の戦い(1332年)
下で攻めるは鎌倉幕府軍
上は千早城で籠城する楠木正成軍
勇猛果敢な抗戦により
千早城は落城しなかった
鎌倉幕府は有力御家人足利尊氏や
新田義貞の離反を契機に滅亡し
楠木氏は後醍醐天皇が開始した
建武の新政においても重用された
(作品番号=306) 37.0x26.0




 

楠木正成(1294-1336)
幼年の名は多聞丸
八歳の時から河内の観心寺の滝覚坊聖瑜という
高僧のもとで教育を受けて育ち
幼年の時に多聞丸が、天王寺の大梵鐘を
人差指一本で動かしたという有名な話

それは初め指で釣鐘の下を押すと少しゆれ
次に二度三度とタイミングを合わせれば
大きな釣鐘も一本の指で大きく動くようになり
人々を驚かせた、という話
(作品番号=307) 37.0x26.0




 

新田義貞(1300-1338)が鎌倉を攻めたとき
稲村ヶ崎で海の神に刀を捧げた話
(作品番号=308) 37.0x26.0


こちらは、何の本の挿絵か不明です
(作品番号=309) 37.0x26.0



 




 

「少年・少女」賞品絵はがき
東京京橋區南鍋町 時事新報社特製
宮地志行畫「快心の第一球」と
中野正治畫「赤い風船」の2枚セット



切符遊「電車パス」
(本の付録か景品に使われた絵)


挿絵の素描


下の素描は、少々保存状態が悪かったです。
(5枚共、49cmx17cm)
スキャナーがA4サイズの為
分割して撮ってあります
宮地志行が画家の活動をしていた
東京の当時の風景ですが、何処かは解りません
 
東京近郊の名所?

 
絵の中に「新橋○○○」の文字が
わずかに読み取れる。

 
橋には「しばやまう」と書いてある
「うまや橋」
隅田川にかかる橋で
東京都道453号本郷亀戸線(春日通り)を通す
西岸は台東区蔵前二丁目
および駒形二丁目を分かち
東岸は墨田区本所一丁目
厩橋(うまやばし) 
橋全体に馬を連想させる
レリーフなどが施されている
橋名は西岸にあった
「御厩河岸(蔵前の米蔵の荷駄馬用の厩)」
にちなむ(wikipediaより参照)

 
遊園地

 
ボートに乗っている




パラソルの婦人
 (作品番号=140)
絵の裏には三越のシールにサインがあり、
三越での何らかの出品らしい
挿絵用(1050x760)
 
宮地景樹(K.M)のKMを
帆舟に似せたサイン印

東京府下千駄ヶ谷
549番地
宮地景樹




夕涼み
 (作品番号=141)
挿絵用(890x610mm)

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