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宮地兵次郎・文一・志行の写真
宮地兵次郎(1838-1910)は文一の父
宮地兵次郎は、
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宮地兵次郎 明治38年(1905)(67歳)撮影、 と妻津宇(つう)。 兵次郎の父は「市兵衛」、母は「婦で」。 津宇は瑞浪市日吉町の柘植家から嫁入。 猪野重次郎は兵次郎の二男(後に猪野姓)、 早夫は重次郎の長男 宮地浩気は兵次郎の長女はん (文久2年1862-昭和14年1939)の子 宮地はん、は 江戸・明治・大正・昭和の四時代を生きた。 (作品番号=23のモデル) 兵次郎の三女、千代と千代の夫、渡辺徳助 (右)兵次郎の四男、宮地美一 大正9年(1920) 宮地兵次郎十年祭当日冶年撮影 (後列) 猪野重次郎(文一の弟)・宮地美一(文一の弟) ・宮地はん(文一の姉)・宮地文一 (中列) 熊崎康人・熊崎玉樹・加知幸平 ・志行・猪野早夫(重次郎の子)・ 宮地信子(美一の妻)・林高嶺 ・宮地けい・重次郎の妻「こま」 (前列) 熊崎ふで・子は敞子・渡辺千代(文一の妹) ・津宇(兵次郎の妻)・ 柘植とめ・林あき(文一の子)・宮地君枝 ・子は伸枝・猪野真砂子 宮地文一(1865-1936)(兵次郎の長男) 宮地文一(1865-1936)、妻けい(1873-1968) けい、は可児市今渡の田口家から嫁入。 文一の妻けい(1873-1968)、 明治26年20歳の撮影、けいの子景樹2歳 撮影年代不明 宮地景樹(左)、宮地文一(右) 明治40年(1907) ふで(15歳)、文一(43歳)、けい(35歳)、 景樹(17歳)、秋子(11歳) 文一・けいの子が、 景樹(明治24生)・ふで(明治26生)・ 秋子(明治30生) 大正10年(1921)宮地けい(旧姓田口)48歳 文一の二女秋子と長女ふで 宮地志行(景樹)(1891-1936)(文一の長男) 明治41年(1908)(17歳) 明治42年(1909)(18歳) 大正5年(1916)(25歳) 富士登山 頂上にて記念撮影 熊崎健一郎、宮地志行、杉井氏、熊崎康人 履物は、ワラジ、 縄か麻紐のようなものを腰に掛けている。 衣服は見るからに寒そう、 昔の人は元気だったのだ。 後方には火口と残雪が見える。 当然、今のように 五合目までバスは通っていない。 麓から歩いたのだ。 大正7年(1918)3月 志行27歳・光枝(旧姓加知、君枝)19歳、 結婚記念写真 光枝は明治32年1899.9.23生、 昭和55年1980.5.20没80歳 撮影年代不明。光枝の親と妹 加知桂次の妻みせ(み勢)、 その子てふ(加知幸平の妻)、 その子好子(光枝の妹) 加知幸平 加知幸平(後列)と妻てふ 光枝 君枝・美代子 撮影年代不明 光枝(君枝)の妹たち、 年齢順は光枝・美代子・好子・梅子 (梅子の夫が加知伴三) 大正14年(1925)梅子・好子 梅子が明治44年1911生で14歳の時。 光枝(君枝)の実家 大正7年(1918)3月志行27歳 高嶺(2歳)、秋子(22歳)と 夫の林三郎(29歳)、志行(27歳) 志行の妹が秋子。 大正7年(1918)11月於宮地美一寓 君枝、熊崎玉樹、康人、宮地信子、 淋文、ふで、志行、美一。 宮地美一は文一の弟(兵次郎の四男)で 志行の叔父 (昭和36年11月18日没、享年83歳)。 熊崎玉樹はふでの子 (ふでの妹の秋子の子「名実子」の夫で、 いとこ結婚) 熊崎玉樹は朝日新聞社報道カメラマン。 大正10年(1921) 秋子(25歳)、高嶺(5歳)、 志行(30歳)、伸枝(3歳) 君枝(23歳)、伸枝は志行・君枝の子 大正13年(1924) 岡先生(岡精一)アトリエにて(33歳) 大正15年(1926) 志行の長男、完自(3歳)と長女、伸枝(7歳) |
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