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中山道の紹介

京都から中山道を通って江戸へ、第十四代将軍徳川家茂に嫁いだ
和宮の行列を再現した祭りの記録を紹介する。

以下5枚の写真は瑞浪市商工課の御好意により提供していただいたものです。
2002/11/17に中山道細久手宿の尾州家定本陣大黒屋あたりで撮影。
(写真の版権・著作権は瑞浪市にあります)
地図座標
細久手宿 http://www.mapion.co.jp/m/35.4280435857354_137.2368552883384_9/
大湫宿 http://www.mapion.co.jp/m/35.430182143635015_137.29694587946938_10/


第十二代将軍徳川家慶(いえよし)の楽宮(さざのみや)
楽宮の父は有栖川宮・織仁親王


第十三代将軍徳川家定(いえさだ)の有姫(ありひめ)
有姫(任子)の父は関白・鷹司政煕

 


第十四代将軍徳川家茂(いえもち)の和宮(かずのみや)
和宮の父は仁孝天皇。
文久元年(1861年)10月20日、
徳川家茂との婚儀の為に京都の桂宮邸を出発。11月15日に江戸到着。

東海道筋では河川を渡る日程の遅延や反対派(尊王攘夷派)による
妨害の恐れがあるとして中山道を選択。
行列は警護や人足を含めると総勢3万人。行列は50km。
沿道では住民の外出や商売が禁止。行列の高見、寺院の鐘等を鳴らすことも禁止。
犬猫は鳴声が聞こえない遠くに繋ぐことなど厳重な警備であった。

近隣での行程は
10月26日、加納宿 :現在の岐阜市(岐阜駅の南、旧稲葉郡加納町)
10月27日、太田宿 :現在の岐阜県美濃加茂市
10月28日、大湫宿 :現在の岐阜県瑞浪市
10月29日、中津川宿 :岐阜県中津川市

江戸までの行列には莫大な経費がかかった。
現地の庄屋・地主・有力者などは幕府の命令により、
経費の一時たてかえ払いを余儀なくされた。
“後に幕府が支払うので”という約束ではあったが、その後、短期で江戸幕府は滅亡。
結局、ほとんどの幕府の「借金」は返されることなく、“不渡り手形”となってしまった。
その為に経費を立替払いした庄屋・地主などは後の金策に困り果て、
家が潰れてしまったという史実もある。

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