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中山道祭りの紹介


京都から中山道を通って江戸へ、
第十四代将軍徳川家茂に嫁いだ
和宮の行列を再現した祭りの記録を紹介。

以下5枚の写真は瑞浪市商工課の御好意により
提供していただいたものです。
2002/11/17に中山道細久手宿の
尾州家定本陣大黒屋あたりで撮影。

(地図)
細久手宿

大湫宿


楽宮(さざのみや)
第十二代将軍徳川家慶(いえよし)の妻
楽宮の父は有栖川宮・織仁親王


有姫(ありひめ)
第十三代将軍徳川家定(いえさだ)の妻
有姫(任子)の父は関白・鷹司政煕






和宮(かずのみや)
第十四代将軍徳川家茂(いえもち)の妻
和宮の父は仁孝天皇。

文久元年(1861年)10月20日、
徳川家茂との婚儀の為に京都の桂宮邸を出発。
11月15日に江戸到着。

東海道筋では河川を渡る日程の遅延や
反対派(尊王攘夷派)による
妨害の恐れがあるとして中山道を選択。
行列は警護や人足を含めると総勢3万人。
行列は50km。
沿道では住民の外出や商売が禁止。
行列の高見、寺院の鐘等を鳴らすことも禁止。
犬猫は鳴声が聞こえない遠くに繋ぐことなど
厳重な警備であった。

近隣での行程は

10月26日、加納宿:
現在の岐阜市(岐阜駅の南、旧稲葉郡加納町)

10月27日、太田宿:
現在の岐阜県美濃加茂市

10月28日、大湫宿:
現在の岐阜県瑞浪市

10月29日、中津川宿:
岐阜県中津川市

江戸までの行列には莫大な経費がかかった。
現地の庄屋・地主・有力者などは
幕府の命令により、
経費の一時たてかえ払いを余儀なくされた。
“後に幕府が支払うので”
という約束ではあったが、
その後、短期で江戸幕府は滅亡。
結局、
ほとんどの幕府の「借金」は返されることなく、
“不渡り手形”となってしまった。
その為に経費を立替払いした庄屋・地主などは
後の金策に困り果て、
家が潰れてしまったという史実もある。


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