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画家 宮地志行のアトリエ(画室)

初版(2006年6月)から半年して、志行のアトリエの写真が発見されたので掲載します。
建立は、正確ではありませんが、ほぼ昭和7年(1932年・志行41歳の頃)、となっております。

やわらかい日差しのある、静かな自然の中に建てられておりました。
光や、明暗の表現を大切にする画家でしたので、この環境は彼にとって好ましい状態でした。
写真が撮られたのは、1970年7月となっております。
志行の没後、36年経ったときの写真ですが、
志行の妻の宮地光枝(君枝ともいった・旧姓加知)は存命でした。

君枝は字画数の縁起で使用していた名、だそうです。
戸籍名は光枝(明治32年(1899)11月15日生、昭和55年(1980)5月20日没、82歳)。

宮地光枝は、最後まで、志行の使用した画具や絵の具類を、それは大切に保管し、
外国語で書かれた絵の具などの文字を苦労して訳して書きとめていたことを、
子孫である編集者が覚えています。

白い大きなガラス窓があり、室内の天井は高くて、洒落た建物でしたが、
1978年、このアトリエは老朽化により、取り壊されました。

(1970年7月〜8月撮影)(カラー写真は撮影日不明)


  
アトリエの全景


志向が自ら書いたアトリエ設計図
設計図ではドアは正面右側になっているが最終的に左側に変更された。床面積33u。


アトリエの中の作品室

 

 
作品の額縁は殆ど志行の手作りである。いろいろなことに器用であった。



 
アトリエの前で。志行の妻、宮地光枝。




作品の前で。志行の妻、宮地光枝。















 
アトリエ天井の様子

 
アトリエ内で談笑


志行の妻、宮地光枝の住んだ家




加知伴三(宮地光枝の妹梅子の夫・光枝の生家)の記録

「瑞浪のふるさと人物史(瑞浪市退職校長会発行1995年)」より
引用させていただきました。


 

 

加知家から志行宛ての葉書
加知幸平は光枝の父、正義は光枝の弟。

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