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沖野岩三郎著 「宛名印記」

表紙繪 福田平八郎
見返し 中村岳陵
口繪 上村松園
島田墨仙
福岡青嵐
題簽  高山辰三

著作者 沖野岩三郎
発行者 高山辰三
印刷日 昭和15年6月15日
発行日 昭和15年6月20日
印刷所 商業グラビヤ印刷所
発行所 美術と趣味社
領価 金三圓(五百部限定版)
この本の第34話「山内神斧君と宮地志行君」(p138〜p145)を転記します。

(註:領価 金三圓について:第37話「藝術の尊重法」に、
当時東京の某小学校の図画教師のY氏の月給が六十圓とある)
「宛名印記」原版はこちら

山内神斧君と宮地志行君

 昭和八年の十一月であつた。或日のこと、主婦之友社の編集長山内金三郎君が訪ねて来
て、主婦之友の別冊附録として、横帳式の風変りなものを作りたいから、童話を書けとい
つた。そこで、私は長い間講演した『やんばうさん』を書く約束した。一回二十余枚五回
といふ長編ものである。
 さて、挿絵を誰にしようかといふ段になつた時、私は自著の長編童話集『山六ぢいさん』
を出して来て、その挿畫(画)を山内君に見せた。その絵は普通の挿畫とは違つて、全頁を使つ
た大膽(タン)なものであつた。
 それを見た山内氏は、すぐに、『ほう、これは立派な絵だ。この人にしよう』と、言つ
て私に其の畫(画)家への交渉を頼んだ。ところが、私は其の畫家が何所の何の誰だか知らなか
つたのである。けれども、苟(イヤシク)も自分の著書に数多く描いてある絵が、誰の作だか知らない
といふのも、作者としてあまり名誉な話でもないので、『宜しい直ぐ交渉します。』と、言
つて、其の日は別れた。

 山内氏が帰つたあとで、私は其の挿絵を繰返し繰返し見た。それは西洋の書物にはふさ
はしいが、日本の書物には少し不向なやうな気がしだした。と、いふのは、口絵の老人と
三疋の狼と一疋の鹿の絵が、どうも日本の子供向でないと思つたからであつた。しかし、
他の数枚は、どれを見ても実に佳い作である。名の知れない人で、こんな立派な絵を描く
人があるのかと思つた。

 さうしてゐるうちに、私には一つの不審が湧いて来た。それは何であるかといふと、私
自身の絵に對(タイ)する観賞力である。私は子供の時から習字と圖畫(図画)とには、全然縁無しであつ
た。二科とも四十點(点)以上もらつた試しがなかつた。大人になつて展覧会など見に行くが、
私の佳いと思ふものは、批評家が黙殺してゐる。批評家の佳いといふものは、私にはどう
しても、どこが佳いのかわからない。つまり私には色の観念がないらしい。色痴である。
今でも展覧会を見には行くが、或一派の絵を見ると、室を出た時、頭が變(変)になつたやうな
気がする。さつぱりわからない絵に、特選だの推薦だのといふ金札が貼つてあると腹が立
つ。しかし此の立腹は、私一人で抑へるより外に方法のない立腹である。

 そんなに絵に對して低能である私は、此の挿絵が果して佳いのかどうかが疑はしくなつ
て来た。と、同時に、山内金三郎といふ人が、あまりにも軽率に、『うん、これは佳い、
これにしよう』と、言った態度が、気にかかりはじめた。あとで、社長から、あんな挿絵
はいけない。あれは西洋の子供向だ……なんて小言を言はれて、頭を掻くのではないかと
老婆心を働かせ初めた。

 そこへ、一人の友人が訪ねて来た。友人は机の上にある長編童話集を手に取って見て、
『此の挿絵は上手だね。』と、感嘆するやうに言った。そこで私は、『たつた今、主婦之友
社の山内君が来て、非常に賞めて帰つたが、全體(タイ)山内といふ人は、あれで絵がわかるのか
知ら。』と、言つた。それは、友人への間接射撃でもあつた。
 すると、友人は私の顔を、ぢろぢろ見て何にも言はない。程経て、
 『君は山内君を知つてゐるんだらう。』と、言つた。
 『知つてゐるさ。金千五百円を名刺一枚で貸してくれる程の間柄だ。』
 『君が山内君に金を借りたのか。』と友人は咎(トガ)めるやうに言ふ。
 『さうだ。僕が使つたんぢやないが……』
 『そんな間柄だのに、山内君を知らないのか。』
 『山内君は知つてゐるが、あの人が絵に對して、果して観賞力があるか、どうかといふ
んぢやないか。』
 『君は何でそんな事を言ふんだ。』友人は妙にからんで来た。
 『此の挿絵を一目見ただけで、これは佳い、これにしようといつて僕の新に書く長編童
話の挿絵を決めてしまつたんだが、一寸不安になつて来たんだ。』
 『君、山内君は美術学校出だぜ。』
 『戯言いふな。山内神斧つていふ人は僕も名を知つてゐるが、金三郎なんて美術家は知
らないよ。君は神斧と金三郎を、ごつちやにしてゐるんぢやないか。』
 『何を言ふんだい。山内神斧は山内金三郎だぜ。』
 『何を言ふんだい、山内神斧ともあろうものが、朝の八時から晩の十二時まで、十六時
間ぶつ通しに校正だの原稿だの印刷だのつて、そんな俗務に忙殺せられるものか。見給へ
近頃の山内君は、話してゐるうちに、頻りに首を細かく振るぜ、激務が神経衰弱になつて
来てゐるんだ。』
 『何を言ふんだい、美術家が雑誌の編集をしないといふ理屈が何所にあるか。』
 『何を言ふんだい。』の応酬の結果は私の敗北であった。なるほど、美術家が編集長に
なれない理屈はない。そこで、私は友人に對つて辭(コトバ)を卑しくして問うた。
 『実際、山内金三郎君は、山内神斧なんですか。』
 友人は少しく、そりくり返りながら言つた。
 『あの男はね、美術学校を出る時は、たしか、主席だつたよ。同年卒業生の中で、山内
君以下の者が、六七人まで、もう帝展の審査員やら無鑑査になつてゐる。ところが、山内
君は大阪へ帰つて、美術商をやつて大失敗さ。』
 『美術商と雑誌編集とは、縁がないではないか。』
 私は推返して訊いた。
 『美術商が普通の畫商でなく、文士連と聯(連)合して一風異つた美術商をやつたのさ。その
時文士連と知己になつたのが縁で、主婦之友の挿絵だの記事だのの相談役になつたのが最
初で、たうとう編集長になつてしまつたのさ。』

 なるほど、と、私は首肯した。それから、此の挿畫を描いてくれた人を見出しに取りか
かつた。署名を見ると『赤行』とある。妙な名だと思つて、赤行といふ名の畫家があるか
と友人三四人に電話をかけて問うてみたが、みんなに笑ひ返されただけであつた。

 最後に安倍季雄君に電話をかけた。しかし、旅行中だ。山内君からは、畫家はわかつた
か、といふ矢の催促である。何故安倍君に問合せたかといふに、それは安倍君が私に此の
書物の出版を勧めてくれたからである。その安倍君が不在だから仕様がない。で、出版し
た本屋へ電話をかけてみたが、そんな本屋はないと、電話局から打切られた。本屋の主人
の名を調べて電話をかけたが、要領を得ない。此の童話集発行の為に何回か私を訪ねて来
た事のある、本屋の番頭の居所を突き詰めて、そこへ訪ねて行つたが、関西旅行で不在だ。

 やつとの事で、安倍君が東北旅行から帰つて来たので、電話で『赤行』君の事をきくと
 『君、あれは赤行ぢやないよ。志行だよ。宮地志行といふ畫家だよ。その志行君に何の
用事があるんだい。』と、いふ。そこで私は、実は斯(コレ)斯でといふと、安倍君非常に喜んで、
 『ありがたい話だ。あの人は立派な腕をもちながら、世間に知られないんだ。それは郷
里の岐阜県へ引つ込んで親孝行をしてゐるうちに、置去りにされたんだよ。』と、言つた。

 それから私は、銀座の或料理屋へ宮地君に来てもらつて、挿絵の事を頼んだ。

 さて、出来上つた挿絵は、実に立派なものであつた。一巻から五卷まで全部で四百萬部
を印刷して、非常に喝采を博したものであつた。
 これが因縁となつて、宮地君は毎号主婦之友に執筆して、生活の基礎も出来たが、気の
毒に一年あまり経つて、肺病で斃(タオ)れた。

 その後山内金三郎君は、主婦之友社を退いたが、大阪へ帰つて、阪急百貨店美術部とい
ふものをやつて、阪急美術といふ雑誌を出して、その雑誌の挿絵を描いてゐる。なるほど
確な構圖(図)だと、四十點(点)子の私を感心させてゐる。

                             (第34話 完)


<この物語の中の人物と宮地志行との文通>

 

沖野岩三郎


 

山内金三郎(神斧)

 

安倍季雄(スエオ)
(写真右)


沖野岩三郎著 「宛名印記」 目次
(話順)(目次)

(1) えらいぢいさん……………………………………………1
(2) お國自慢……………………………………………………6
(3) 喜んで模寫を買ふが………………………………………9
(4) 俳人の長篇小説………………………………………… 10
(5) 本物を見ずとも満足すべし…………………………… 11
(6) 畫家と小説家…………………………………………… 14
(7) 外国で見た日本畫……………………………………… 16
(8) 本朝百雄傳……………………………………………… 19
(9) 包紙から印象派へ……………………………………… 21
(10) 遺傳の力………………………………………………… 26
(11) 祗南海と南畫…………………………………………… 31
(12) 關羽・ビスマルク・ワシントン……………………… 37
(13) 大きな畫と美しい畫…………………………………… 40
(14) 繪と其の内容…………………………………………… 41
(15) 羅馬法とノツカア……………………………………… 43
(16) 白鳥ホテルの壁畫……………………………………… 46
(17) 雅邦・直人・松年・渓仙……………………………… 49
(18) 鈴木楳仙の墨…………………………………………… 53
(19) 平福百穂氏の遺墨……………………………………… 60
(20) 信夫恕軒と島田墨仙…………………………………… 64
(21) 壁畫王政復古…………………………………………… 71
(22) 畫題になつた出師の表………………………………… 79
(23) 日本畫になつた基督…………………………………… 81
(24) 繪に現れた聖人の體格………………………………… 83
(25) T.SAKAIの油繪……………………………………89
(26) 自然生(じねんじやう)といふ男……………………104
(27) 乞食の描いた名畫………………………………………106
(28) 剣豪をゆする……………………………………………108
(29) 寒江獨釣之圖……………………………………………115
(30) 富岡鐡齋の話……………………………………………122
(31) 野口氏の畫室……………………………………………126
(32) 筍…………………………………………………………127
(33) 誤植………………………………………………………129
(34) 山内神斧君と宮地志行君……………………………138
(35) 孔子様の石像……………………………………………146
(36) ロシヤの丹下左膳………………………………………153
(37) 藝術の尊重法……………………………………………158
(38) 死せる大石主税生ける墨仙を京都に走らす…………162
(39) 小諸なる古城のほとり…………………………………167
(40) 大阪で最初の水彩畫展…………………………………183
(41) 眼の玉の黒いうち………………………………………186
(42) 渡邊崋山の繪をもつてゐる夫人………………………193
(43) 愛兒の行方………………………………………………206
(44) 眞物の贋物………………………………………………208
(45) 自畫の前に泣く…………………………………………212
(46) 色・食・畫の三慾………………………………………215
(47) 土産の錦繪………………………………………………216
(48) いれずみの繪……………………………………………219
(49) 飯田軍蔵の羽織…………………………………………220
(50) 堀田瑞松と三等煉瓦……………………………………224
(51) 繪看板に教へられた『後の赤穂義士』復讐始末……237
 跋


後日(2014/09/16)私の尊敬する昆虫写真家、
藤井醇氏より
なぜ「宛名印記」という題名なのかを教えていただいた。曰く、
当時の「インク」の代表的な銘柄が「アテナインキ」で、
丸善から出ていたとの事。
沖野岩三郎氏はなかなか面白い人です。
これで永く抱えていた疑問が解決した。

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